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◆ 桜吹雪の道の果て 2009/09/25(金)
9月25日(金) ナゴヤドーム● 中日 2 − 5 阪神 「桜吹雪の道の果て」 ![]() 井上一樹が今季限りでの現役引退を発表した。 20年間ドラゴンズ一筋で歩み続けた野球道。 チームメイトに慕われファンに愛され続けた男は、今年でその歩みを止める決断をした。 古き良き中日ドラゴンズの郷愁を持つ最後の竜戦士。井上一樹。 井上一樹という存在を改めて振り返ってみると、やはりドラゴンズには無くてはならない存在だったと痛感する。 チームの最前線に立ち背中でドラゴンズ率いたのが立浪和義だったとするならば、井上は最後尾から選手たちを鼓舞するような役割だったと思う。 チーム全体の調和と協調を誰よりもに考え、ムードメーカー役を献身的にこなすその姿に今まで何人の選手が救われたことだろう。 これは一見誰でも出来るようでなかなか出来ることではない。彼の持つ人徳があってこそ成せることなのである。 井上一樹は、正直なところプレーヤーとしては結局最後の最後まで一軍半のレベルを乗り越えられなかった選手である。 1年を通してレギュラーを張り続けたシーズンは1999年の1シーズンのみ。それ以外の年では、控えとしては心強いがレギュラーとしては心許ないという微妙な立ち位置を行き来し続けた。 では、なぜ井上が一軍半のレベルを乗り越えられなかったのかと問われれば、その答えは一つ。 井上は野球が巧くなかった。 決して下手なのではない。野球を巧く出来なかったという部分の一点に尽きる。 しかし、よくよく考えてみると、これは井上の致命的な短所であると共に彼を支え続けた最大の長所でもあったのだ。 仮に「野球の才能」に一定の許容量が定められていたとする。 選手一人一人が実力を溜め込むための”容器”を持っていて、その容器の大きさは各選手によって違う。 立浪や福留、井端といった先天的な野球の才能に恵まれている選手はその器が大きく設定されていると考えてほしい。 選手達はその各々に与えられた容器の中を、積み上げた鍛錬の結晶である”汗”で満たしていき、その末に出来上がった物が野球選手としての「実力」の量なのである。 井上一樹というプレーヤーは、この容器が小さかった。 投手での入団から4年目で野手へ転向。その事を考えれば野手としての才能の器は、それこそ平均レベル、いやそれより少し下ぐらいの容器しか与えられなかったのだと思う。 立浪や福留がドラム缶ほどの容器を持っていたとしたら、井上はせいぜいバケツ程度。 守備も巧くない、足も早くない、器用なバットコントロールもない、飛ばす力も備わっていない。 しかし、一度投手を断念した井上に残された道は、この与えられたバケツの中を猛練習で出来る限り満たすことしか術は残されていなかった。 センスも、才能も、何もかも持ち合わせていなかった男が、ただ一つ持っていたもの・・・ やはりそれは、バケツの中に汗を溜め込む直向さだったと思う。 才能に溢れた選手たちのような巧いプレーは井上には出来ない。 だが、巧くないからこそ、才能を与えられなかった選手だからこそ出来ることはある。 井上はそれをやり続けた選手だ。 与えられた容器の中をいっさい手を抜くことなく最大限の汗で満たし続けた。 彼のプレーは華やかではないし、どのスキルに関しても巧いと評されるものは一つも無い。 ただ、井上はひたすらに実直で、泥臭いほどに懸命で、すべてのプレーが活力に満ちていた。自分が出し得る全ての力を常にグラウンド上に表現していたのだ。 その姿勢は確かにファンの心を揺らした。 ベテランと呼ばれる年齢に達しても、井上一樹は井上一樹であり続けた。 小器用なプレーはもちろん無い。ベテランならではの老獪なテクニックなんて一切ない。 井上一樹は、最後の最後まで不器用で、実直で、豪快なスタイルを貫き通したのだ。 そう。それこそが井上一樹の進んだ野球道なのだ。 感激の空を目指して、泥だらけで進み続けた男の誠実で不器用な生き様。 井上一樹。あなたのプレーはカッコ悪くなんかない。その姿は、何よりも美しく華麗な勇姿だった。 お疲れ様! ◆ トラウマ・エンディング 2009/09/22(火)
9月22日(火) 東京ドーム● 中日 0 − 2 巨人 「トラウマ・エンディング」 巨人のマジックナンバーはついに「1」 今日、東京ドームで行われる試合で中日が敗れればその瞬間に巨人の三連覇達成となる。 目の前で相手チームの、特に巨人の胴上げを見るというのはやはり良い気分ではない。 しかし過去の記憶を辿れば、何の因果かドラゴンズは目の前で巨人に胴上げされるというケースが非常に多い。 しかもその記憶は、どれも内臓をエグり取られるような”トラウマ的胴上げ”の数々である。 ![]() 1994年10月8日。国民的行事と謳われたあの10.8同率決戦。 ![]() 1996年10月6日。ナゴヤ球場最後の年、最終戦。 ![]() 2000年9月24日。4-0からの歴史的大逆転劇。 ドラゴンズファンにとって目の前で見る巨人の胴上げは、どのシーンも忌まわしく拭い去れないほど屈辱的なものばかりなのである。 そういった今までの経緯を考えると、今年も「トラウマ・エンディング」が待っているのではないかとついつい勘繰ってしまう。 たとえるなら映画・ミストのラストシーンのような、頭にこびり付いて離れない悲痛な終幕が待っているかと思うと・・うーん。目を背けたい。 出来ることなら今日の試合に勝利して巨人が胴上げする瞬間を見ないで済むのが一番なのだが、どうだろう、果たして避けて通れるのだろうか。 ここで「嫌な胴上げパターン」を想像してみよう。 今シーズンに関してあるとすれば、勝ちゲームを劇的にひっくり返されてサヨナラ負けで優勝決定というパターンが、考えられる中で一番”嫌な胴上げのされ方”である。 ただ、サヨナラで優勝決定というのは球界の歴史上でもそうそうある事ではないので可能性としてはかなり低いはず。 何にせよファンのトラウマになるような幕切れだけは勘弁していただきたい。 もし、今日負けるなら傷が浅いように出来るだけ地味に負けてくれ!と心からそう願うのである。 そう思いながら過去の巨人の胴上げパターンを調べてみると、 これまで巨人が本拠地・東京ドームでリーグ優勝を飾った試合は1990年、2000年、2007年の3回。 その3回のデータを調べてみると・・・ ![]() 全試合、劇的サヨナラ決着! ぐわっ・・岩瀬が危ない! ◆ 進化による退化 2009/09/20(日)
9月20日(日) ナゴヤドーム● 中日 3 − 4 横浜 「進化による退化」 ![]() もう今シーズン数え切れないほど見たであろうサードからの悪送球・・・・。 ボールはカメラマン席に飛び込みテイクワンベース。セカンドランナー藤田は労せずして決勝点のホームを踏んだ。 そして悪送球をしたサードベースマンは今シーズン25回目の苦笑いを浮かべた。 別に私はエラーしたことを責めるつもりはない。 そもそも野球にエラーは付き物であり、フィールドにいる以上は多かれ少なかれ避けては通れない道である。 ただ、正直な意見を言わせてもらえば、森野のエラーは許せるが、エラーした後に浮かべるこのツラだけはどうしても許せない。 「あっれー?おっかしぃなー??」とでも言いたげなこの表情。 キツネにでもつままれたような、さも何か別の力が作用しましたとでも言いたげな不遜の笑み。 なんだろうこのあからさまな上から目線は。弘法も筆の誤り・・とでも言いたいのだろか。 いや、違うぞ!森野!全然違う!これは筆の誤りどころか、墨汁とイカ墨を間違えるぐらいの、明らかな大チョンボだぞ!笑ってる場合じゃない! エラーした後のこの表情が物語るように、今シーズンの森野は完全に思いあがっている。 サードの守備力に関しては言えば、ここまでハードな練習を積み重ねてきたことで本人にもそれなりの”自負”が芽生えているんだろう。それ自体は決して悪いことではない。 実際、森野の捕球スキルは年々目覚しい成長を遂げているし、自信と経験に裏うちされた技術を武器に数年前なら絶対に捌けなかった範囲までグラブが届くようになってきている。 確かに技術力は上達しているのだ。それは誰もが認めるところだろう。 ただ、その薄っぺらな自負なんてもんは思い上がり以外の何物でもない。森野がここ数年間の猛練習の末に手にしたのは誇りではなく”驕り”だったのだ。 森野は、なまじっかテクニックを手に入れてしまったためにある大切なものを失ってしまった。 それは・・・・・熱だ。 ![]() 森野将彦という一人のフィルダーを支え続けた能力。それは”熱”である。 決して守備が巧いわけではないが無骨で堅実で一生懸命。その謙虚なまでのプレースタイルこそが平凡だった森野を今の位置まで押し上げた何よりの原動力だったはずだ。 あの頃の森野の守備は、文字通り”熱かった” 荒木・井端のような華麗な守備とはお世辞にも言えないが、森野は誰よりも熱意に満ちた必死の形相でプレーしていた。 その無垢で一心不乱な姿勢はどのポジションを守っても同じ。サードでも、セカンドでも、ファーストでも、外野でも変わらなかった。 「なぜ、森野は複数のポジションをこなせるのか?」 それは器用だからじゃない。与えられたポジションで誰よりも頑張ってるからだ! 当時は、胸を張ってこう言えた。 ところが、今の森野は何だ。 小手先の技量と腐りきった慢心と薄っぺらな自尊心を振りかざして、「オレ結構できるんだぜ?」とでも言いたげな振る舞いで、不誠実なプレーを連発する有様。 言わせてもらえば、あの頃の下手だけど一生懸命だった森野の方が今より数倍巧いしカッコ良かった・・。 つまり森野の守備は進化したことによって退化してしまったのだ。 「オレの知ってる森野将彦どこいった!」 「過去にさかのぼって取り返して来い!」 そう叫びたくなるような、何か裏切られたような気持ちで一杯だ。 だから、私はここで思い切った提案をしたい! おそらくこれは森野を更生させるための最後の手段だろう。しかし、この方法を用いれば確実に森野の守備は蘇生する。 その戦術とは・・・これだ!! ![]() サードゴロ 中継プレー案!!! つまり、こういう事だ。森野がサードゴロを捕球したら、すぐさまピッチャーへ送球。 そしてその送球を受け取ったピッチャーが、”中継役”となりファーストへ送球するというこの作戦。 これが何を意図してるかというと、つまり「お前はまだ半人前だ!」という森野への痛烈な皮肉を含んだ戦術なのである。 自分はサードが”出来る”と勝手に思い込んでる森野の目を覚まさせるには、もうこれぐらい極端な荒療治に打って出るしかない。 思い出せ!お前の守備は下手なんだ!下手だからこそ、迷惑だけはかけまいと一生懸命だったんだろう! その思いが森野将彦を巧くさせたんじゃないか! 必死だったあの頃の気持ちをこの「サードゴロ・中継プレー」でもう一度思い出して欲しい。 ◆ 一筆入魂! 2009/09/18(金)
9月18日(金) ナゴヤドーム● 中日 2 − 5 横浜 「一筆入魂!」 こんな私でも、たまぁーにサインを求められることがある。 どんな時かと言うと、本を買って頂いた方に「サインください!」と頼まれるケースである。 実は、私はこういう場面が一番苦手なのだ。 「え?オレのサインなんかで良いの?」と、ついつい聞き返してしまうぐらいだが、 まぁよくよく考えてみれば自分で出した本に自分がサインするってのは当たり前か・・・なるほどなるほど。 そう思いながらペンを手に取るのだが、問題はここからだ。 こういう時って・・・ホント緊張する。 そうそう何度もある機会ではないし、そもそもサインなんか普段から書き慣れてる訳ではないので、こういう場面では額から汗がジワリと滲んでくるような妙な緊張感を毎回感じる。 「でも、せっかくの機会だから、出来るだけ上手に書いてあげなきゃ・・。」 そう思えば思うほどペンを持つ手は小刻みに震える。 ぐぅ・・・落ち着け。落ち着け。普通に書けば良い、そう。大丈夫。普通に書けば良いんだ。 もはや書道家ですら感じたことのないような葛藤を覚えながらも、慎重に、丁寧に、私はサインを書き上げる キュッキュッキュキュ・・・ 堀・・・正・・・・央・・・・「!!!!!」 ![]() 「あああああ!!!最後のはらいの部分失敗したぁ!!!!!」 もう、いつもそんな感じだ。 ただ、そんな私の気持ちを誰よりも理解してくれる人間が、この世にたった一人だけいる。 おそらくその人物は”名前を書く”という事に関しては、私のサインの時よりも遥かに慎重な姿勢でペンを走らせていたことだろう。 彼は、一字一句間違わぬよう細心の注意を払って、この名前を書き上げたはずだ。 ![]() 田代監督「・・・・ふぅー」 ◆ 壁の向こうへ 2009/09/17(木)
9月17日(木) マツダスタジアム○ 中日 4 − 1 広島 「壁の向こうへ」 ![]() ドラゴンズの歴史上、「シーズン100打点」を記録した選手は過去9人しかいない。 西沢道夫、マーチン、大島康徳、落合博満、大豊泰昭、山崎武司、ゴメス、福留孝介、ウッズ。 こうして見渡してみると、球団史上に残る大打者や名助っ人外国人の名前がズラリと並ぶ。 チームの核となるバッター。いわゆる”主砲”の役目は、やはり何と言っても打点を稼ぐこと。 その中で100打点という記録は、シーズンを通してチームの期待に応え続けたという何よりの証明である。 この「100」という数字は1年間クリンナップを任されたからといって簡単に手が届く数字ではない。 ”3試合中、2打点”というペースをフルシーズン続けてやっと届くかどうか・・・という途方も無い記録。 あの江藤慎一も、谷沢健一も、宇野勝も、立浪和義も、大台であるシーズン100打点の壁を一度たりとも越えることは出来なかった。 しかし、幾多の名選手を寸前でつき返してきたその頑丈な壁を、今宵、ブチ破った男がいる。 森野将彦。100打点の壁を越えることを許された10人目の打者だ。 プロ入りから苦節11年目。ついに主砲の証である100打点の称号を手にした森野だが、 過去、100打点の壁を越えたの9人の打者とは一つ決定的に違うところがある。 かつて100打点を記録した先人たちの記録を見ていくと、ある共通の要素が浮かびあがってくる。 調べてみると、どの打者も100打点を記録したシーズンは際立って本塁打が多いのだ。 西沢46本、マーチン40本、大豊38本、山崎39本など、100打点の壁を越えたシーズンでは、ほとんどの打者がキャリアハイの本塁打数を記録している。 つまり、本塁打数の増加に引っ張られる形で、打点数も増加し、100打点の大台を突破しているのだ。 ところが、森野はどうだろう? 今シーズン森野が放った本塁打は今日までで22本。 確かにこれは森野自身のキャリアハイに当たる本塁打数だが、かつての100打点越えの選手達と比較すると明らかに本塁打数が少ない。 これこそが他の打者と決定的に違うところである。 つまり、これはどういう事かというと、森野は”本塁打に頼らずとも打点を稼ぎ出せる”ということを証明したのだ。 では、具体的に森野の打点の詳細を調べていこう。 今シーズン森野が挙げた総打点数は「100」。このうち本塁打が22本でその内わけは以下の通り。 ![]() このデータを見てわかる通り、森野の総打点数「100」の中で本塁打によって生み出された打点は、たった「38打点」しかない。 つまり、それ以外の「62打点」はすべてタイムリーや犠牲フライなど、いわゆるチャンスを確実に物にする打撃で、補っているのだ。 チャンスでしっかり結果を残す。それを毎試合、毎試合、コツコツと積み上げてついに100の領域に到達した。 これを勝負強いと言わずして何と言うのだろう。 なにも本塁打を量産せずとも、勝負所できっちりしたバッティングを積み上げていけば「100」の壁を越えられる。それを森野将彦は証明したのだ。 球団史上7人目となる打点王獲得へ向けて。 100の壁を越えた男の加速は止まらない。 ◆ 適正価格 2009/09/16(水)
9月16日(水) 広島● 中日 2 − 5 広島 「適正価格」 すっごいしょーもない話していいですか? 突然なんだけど「ドラ焼き」って美味しいよね。もう、めっちゃ旨い。 あのドラえもんの大好物としてもお馴染みの和菓子・ドラ焼き。おそらく嫌いって人は滅多にいないはずだ。 ただ、このドラ焼きって好きな人がかなり多いにも関わらず、どうも頻繁に食べてるイメージがない。 前にいつ食べたかなんてもちろん覚えてないし、ひょっとしたらここ数年食べてないかもしれない。 それこそ買おうと思えばコンビニやら何やらでわりと手軽に購入できるのにも関わらず、買ってないし、食べてない。 何故だろう?とよくよく考えてみると、やはり”価格”に問題があると思う。 たとえばコンビニでドラ焼きを買おうと思ったら、1個120円とかする。(今セブンイレブンで見てきた。) どこ行ってみても100円以内で買えることはまずないのだ。 この価格を見るたびにいつも思う。 「いやいや。別に買ってもいいんだけど、お前の価値は120円ではないだろ!」と。 そもそも機械で大量生産できるんだし、原価からだいたい推測してみても絶対100円以下では売れませんっていう商品とは思えない。 それにドラ焼きってのはあくまで”間食”のカテゴリーに属してるのだから、主食となり得るパンとかおにぎりと肩を並べる値段を頑なに主張し続ける姿勢には、かなり疑問を覚える。 ドラ焼きの本来の適性価格は80円前後であるべき。その値段なら私は週一で買っているだろう。 私は声を大にして言いたい。 「ドラ焼きよ!目を覚ませ!お前の立ち居地はそこじゃない!」 心の奥でそう叫びながら、私はドラ焼きの横に並んでいた”なごやん”をカゴの中に入れた。 ところ変わって・・・・・ 「モグモグモグ・・・・・」 「おっ!なんだなんだ、旨そうなもん食ってんな。」 「あ。若。若も食べます?なごやん。おいしいですよぉ〜」 「んだよ!なごやんかよ!そんな安モンの和菓子食えっかよ。」 「・・・・・」 (なごやん程度のピッチングのくせに・・・)◆ 和田さんは凄い 2009/09/15(火)
9月15日(火) 広島○ 中日 5 − 3 広島 「和田さんは凄い」 ![]() 「おぃおぃおぃ・・・・これが入るのかよ・・。」 一回一回驚いてたらキリが無い。という事に薄々気づき始めてはいるのだが、それでも、わかっていたとしても、和田のホームランを見るたびにいつも新鮮な驚きを感じてしまう。 今日の延長10回に飛び出した決勝2ランホームランはまさに「えええ!こんなんありかよー!」という感じのホームラン。 試合の勝負所でこんなホームラン打たれたらもう相手は苦笑いするしかない。 そもそも和田の神懸り的なバッティング技術は、特にあれこれ考えず見たまま感じたまま「凄い!」の一言で締め括るのが最適な表現であって、今さら技術的にどうこう解説するのも野暮な気がするが、 「凄い!」の一言で終わってしまうと他に書くことが無くなってしまうのであえて、あえて「どう凄いのか?」を探っていこう。 ◆和田一浩の、どんだけぇ〜打撃講座◆ ![]() まずは上の絵を見ていただこう。今日の決勝ホームランの一コマだ。 広島・永川がカウント1-2から投じた外角高めややボール気味の速球は、この時147キロを計時していた。 さて、問題はここからだ。 上の絵を改めて見てみると、永川の速球がベース上まで伸びてきているのに対してこの時、和田のバットヘッドは明らかに遅れて出てしまっている。 さらに身体がほぼ開いている状態なので、腰の回転力を活かして巻き込むような対応も見込めない。 これでは小手先しか使えず完全に手詰まり。この状況に限れば、はっきり言って打者は”死に体”に近い状態と言って良い。 この死に体の状態で実行できる選択肢はバックネットにファールか、おっつけてライト前ポテンヒット狙い。普通はそれぐらいしかない。 ただ、それは・・普通の打者なら、という話。 普通じゃない人がやると、こんな事も起こる。 ![]() ![]() 「えええええええええ!!!!!!」 いやいやいや!それはない!入るのは無い! 本来、嬉しい現実であるはずの光景を何か必死に否定しようとしている自分がそこにいる。 凄い・・・いや、確かに凄いことは見りゃわかる。 ただ、どう凄いのか?を詳しく探ろうとすればするほど、何かとてつもない不条理という名の壁にぶち当たってしまう。 言わば、後だしジャンケン・・・・。そう評するのが一番しっくり来る。技術というべきなのか、どっちかというと反則に近いような雰囲気すらあるのだ。 つまり、もうこれはセオリーがどうのとか、テクニック的にどうとかいう理屈をもって理解できるような技術ではないのだ。 そう。現時点で言えることはたった一つ。 「和田さん 凄い!」 ◆ 中日ドラゴンズDE婚活 2009/09/14(月)
「中日ドラゴンズDE婚活」今週土曜日9月19日の横浜戦にて「中日ドラゴンズDE婚活」という企画が催される。 まぁこれに関しては何と言っていいかわからないが、結論から言うとおもしろそうだとは思う。 そもそも合コンにしても何にしてもそうだが、男女の出会いの場におけるお互いの最初のステップは趣味・趣向の共有にある。 「相手が何を好みどういった考えを持つ人物なのか?」 この部分に対してお互いが共感を持つ事が出来れば、まず一つ目のハードルを乗り越えたと考えて良い。 そして時間を重ねるにつれ次第にその共感が育まれていき、いつしかその共感が好感へと変わり、恋が芽生える。ざっくりまとめるとこんな感じだ。 それを踏まえてこの「野球婚活」を改めて考えてみると、・・・熱い!特に男性諸君に関しては絶好のチャンスである。 なぜなら一番の肝である部分の”趣味”において、予め男女が共通の理解を示した状態でスタートが切れるからだ。 互いに結婚に前向きで、かつ同じ趣味を持っているという状況。これは野球で言えばいきなりノーアウト満塁から試合が始まるようなものだ。 しかも、さらに熱いのが趣味だけでなく相手の”趣向”を探るのにも手っ取り早いという点。 相手の趣味を聞き出すことはわりと容易いが、趣向、つまり相手の考え方を引き出すには大抵の場合多くの時間と労力を要する。 これも日本人特有の国民性からなのか、大っぴらに自分の意志を曝け出すような性格の人は少なく相手の腹の底を探るには毎回結構骨が折れる。それが異性、特に女性相手となれば尚更難しい。 ただ、この「野球婚活」に関してはその手間が一気に省ける方法が存在する。 その方法は意外と簡単。ただ一言、「好きな選手は誰ですか?」と聞けば良いのだ。 女性はプロ野球選手を単純に憧れの存在というだけでなく本能的に異性としても見ている。 つまり、「好きな選手は誰ですか?」と聞くことは、「どんな男に心がトキメキますか?」という質問と限りなくイコールなのである。 これにより、選手の容姿や特徴を加味した上で女性の大まかな性格診断が出来る。 たった一つの質問をするだけで相手の趣向を推し量ることが出来るという、さながらお手軽プロファイリングとでもいったところだろうか。 この法則がわかっていれば、「中日ドラゴンズDE婚活」を優位に進められることうけ合い! そんな訳で、今日はこんな企画。 「女性心理を見抜け!選手でわかる性格診断!」 今回は「この選手が好きな女性はこんなタイプだ!」という独自のデータを出してみた。 「中日ドラゴンズDE婚活」に参加する男性諸君には是非これを参考にして頂きたい。 ![]() ![]() ![]() ![]() まぁ、ざっとこんな感じだろうか。 どうだろう?少なからず当たっている部分はあるはずだ。 女性側の回答と自分が抱く理想の女性像踏まえた上で臨めば、もう成功間違いなしである。 ただ・・何故だろう? この質問の時に仮に「イ・ビョンギュ」と答える女性がいるとしたら、私ならもうその子のことが気になって気になってしょうがない。 え?・・・なんで??なんで??その理由を聞きたい!むしろ、もっと君のことが知りたい! っていうか、好きだ!オレと結婚してくれ!ってなる。 策士、策に溺れるとは、おそらくこういうことだろう。 ◆ 代償の原則 2009/09/13(日)
9月13日(日) ナゴヤドーム○ 中日 7 − 2 ヤクルト 「代償の原則」 人が何かを得ようとするには、それ相応の代償が必要である。 お金だったり、時間だったり、或いは・・・もっと掛替えの無い大切なものを犠牲にしなければならない時だってある。 たとえば何か手に入れたい物があったとする。 これが文字通りただの「物」であれば、大抵の場合お金で解決できることが多い。 ただ、それが「テクニック」のような技術的な要素をもつ物だった場合は、習得に向けてそれ相応の時間や労力を費やさなければならない。 それが代償の原則なのである。 ![]() ドラゴンズには和田一浩という選手がいる。 彼が自身のバットで魅せる神懸り的なバッティングテクニックというものは、凡人が逆立ちしても手の届かない珠玉のスキルである。 「なぜ、あのコースの球をあの対応で捌くことが出来るのか?」 そう問いかけたくなるほどの妙技の数々には、思わずため息が出てしまう。 ただ、このような和田の素晴らしいバッティングテクニックを目の当たりにする度に、毎回同じの疑問が頭の中を過ぎる。 ![]() 「これって・・・そもそも練習して出来ることなのか?」 この神がかり的な技術は、練習という「代償」を支払ったからといって得ることが出来るものなのだろうか?という疑問が浮かぶ。 もちろん和田の技術力が今のレベルに達するまでには様々な努力と苦悩があった事だろう。これまでの練習に明け暮れた日々を考えれば十分過ぎるほどの代償は既に払っているはずだ。 しかし、和田の「バッティングスキル」に関して言えば、あまりにもレベルが高すぎてどう考えても”先天的な才覚”としか思えないのだ。 冒頭でも書いたように、普通の人間は「時間」と「労力」という代償を注ぎ込んで「技術」を会得するというのが自然な形である。 しかし、和田のバッティングは、努力を重ねて会得したというよりは神様に与えらたという解釈のほうが納得がいく。 なぜなら、いわゆる普通レベルの選手が「努力」という代償を払ったところで和田のような神懸り的な技術を習得できるとは思えないからだ。 和田という男は、バッターならば誰もがノドから手が出るほど欲しい才覚を代償を払うことなく先天的に与えられているなんて、なんとも羨ましい限りである。 あ・・・。違うか。 一応、”あるもの”を失ってるから代償は払ってることになるか。 ◆ 勝利の価値 2009/09/11(金)
9月11日(金) ナゴヤドーム○ 中日 3 − 1 ヤクルト 「勝利の価値」 今のドラゴンズにどうしても手に入らないものがあるとしたら、それはモチベーションである。 とにかく今のドラゴンズには”目的”がない。 上を見れば1位巨人は遥か彼方の7.5差。かと言って下を窺えば3位ヤクルトは13ゲーム差。 「2位」というあまり嬉しくない順位だけがほぼ約束されている状況で、目の前の試合に勝ったとしても負けたとしても、進む訳でなし戻る訳でなし・・・。 極論を言ってしまえば今のドラゴンズは、試合に勝たなければいけない理由が見当たらない。つまり、モチベーションがないのだ。 「別に、勝っても負けても何も起こんねぇだろ?」 誰もが心の中でそう感じていると思う。 事実、ドラゴンズが勝っても負けても、悲しいかなペナントレースの大勢には今更何の影響も無い。 今はチームも、ファンも、勝利への執念をどこかに置き忘れてしまったかのような状態なのである。 だが、このチーム全体に蔓延した無気力なムードを打破することが出来る男が一人だけいる。 ![]() 200勝左腕。山本昌。 ドラゴンズが見失った”勝利への執念”を持っている唯一の男だ。 ドラゴンズに久しく感じていなかった勝利への執念を目の当たりにした瞬間だった。 シーズンが始まってから約5ヶ月半。ただひたすら勝利に飢え続けた男の渾身の躍動がそこにはあったのだ。 思い返してみればここ最近のドラゴンズは巨人に3連敗して以来、もはや抜け殻同然の状態で惰性的にペナントレースを消化していた。 緊張の糸が切れたようにボコボコと打たれだす投手陣。覇気の無い打撃陣。崩壊する守備陣。 目的を失ったチームはこれほどまでに輝きを失ってしまうのか?と愕然してしまうほど、野球の質はみるみるうちに低下していく・・。 そして当然、その下降線をなぞるようにファンの熱気も停滞していく。絵に描いたようなデスレスパイラルの完成だ。 「この調子じゃ、CS出たとしても・・・」 そんなムードが蔓延する中での今日の山本昌のピッチングはまさに青天の霹靂だった。 炎天下のもとに刻み込まれた苦悩の証を身にまとい、たった1勝、されど1勝のため、一球一球に全身全霊を込めて投げ込む44歳の姿は衝撃的だった。 その勇ましい姿を見ていると、「ハッ!」と我に返り、次の瞬間、何故か無性に申し訳ない気分になってきてしまう・・。 「すいません・・・昌さん・・すいません!」 「オレ・・オレ・・・腑抜けてました!」 思わずそう懺悔したくなってしまうほど、今日の山本昌の投球には説得力というか、強いメッセージ性を感じた。 「お前ら!現状を憂いている暇なんか無いはずだろ!」 「目の前の勝利のために全力を尽くせ!選手も、ファンも、それが唯一の仕事だろ!」 何か、山本昌の投じる一球一球がドラゴンズにそう訴えかけているような・・・そんな感じがした。 一勝の尊さを誰よりも知り、この一年間一勝の壁に翻弄され続けた山本昌だからこそ、その思いは痛烈に心の中に響く。 無意味な勝利なんて無い。 今日という試合に全力を尽くせないヤツには、明るい未来なんて来ない。 だから、オレは悔いの無い一球を投げる。 伝説の男が提示したこのメッセージに一体何人の選手が気づくことが出来るのだろう? ”一勝の尊さ” それは44歳の大ベテランが丸3ヶ月間灼熱の二軍で土を舐め、泥に塗れた末に持ち帰った珠玉の手土産である。 ドラゴンズは一刻も早くその価値に気づかなければいけない。 ◆ 森野の謎 2009/09/10(木)
9月10日(木) 甲子園○ 中日 4 − 2 阪神 「森野の謎」 ![]() 今季24回目の「E」のランプが甲子園の電光掲示板に灯された。 今シーズン何度も見せられたこの光景。また・・・また森野だ。 失策数はぶっちぎりで12球団ワースト。もはやお約束と化してしまった森野の守備力について今日は考えてみる。 さて、タイトルでは「森野の謎」と題してみたが、この森野エラー問題は一見単純なように見えてなかなかどうして、深く考査してみると結構考え甲斐があることに気づく。 では早速、大テーマである「なぜ、森野はここまで守備が下手になってしまったのか?」を詳しく探っていこう。 まず、この「森野守備下手問題」(*以下、森野問題)の原因に関してはいくつか説がある。 どの説もかなり的を射ていて、耳を傾けてみるとフムフムなるほどなぁ。と、少なからず納得できる部分もあるのだが、ここからがこの「森野問題」のおもしろい所というかの根が深い部分で、どの説も結局最終的には「いや、でも・・それは結論じゃないでしょ。」という着地に至ってしまうのだ。 まぁ、論より証拠ということで、一つ一つ、「森野問題」に関する説を検証していこう。 ![]() ◆その1 「外野守備 影響説」 昨年はほぼ外野を守っていたため外野用のスローイングが身についてしまった。だから送球エラーが多くなっている。とする説。 フムフムなるほど。わからんでもない。なにか妙な説得力がある。 しかし、順応力や適応性に優れるはずの森野が、外野用のスローイングという一項目だけが染み付いて離れないというのもいささか疑問が残る。 それこそ去年のオフからサード専任は名言されてるわけで、取り払う準備期間は万全。というか去年も外野をやりながらセカンドとサードを勤め上げている訳で、そこまで依存性が高いとも思えない。 そもそも、たかが100試合程度外野手をやったことが今日の今日まで影響するのか? ・・・と考えると、この説である可能性は無いとは言わないがあまり高くない。 ![]() ◆その2 「打撃不振 影響説」 今年の4月、5月は極度の打撃不振に陥っていた森野。 打撃で上手くいかない悪循環が守備にも影響を及ぼし、エラー数の増加に繋がっているという説。 フムフムなるほど。肝心の打撃が湿りがちでは気分的に乗ってこないのも当然。これは十分あり得る。 うん。でも、打撃は6月あたりからとっくに復調してるし、関係ないよね。 打撃と守備の相互性までは否定しないが、守備面の一方だけがドン底を彷徨い続けている所を見ると、打撃不振のみが原因と理屈付けするにはかなり無理がある。 ![]() ◆その3 「もともと下手だった説」 ムムム!確かにこれは盲点だった。 世間ではユーティリティーだの堅実だの言われている森野の守備は、そもそもヘタクソだったとする説。 まさにコロンブスの卵的発想。例えるなら俳優の松山ケンイチは色んな役どころを器用にこなせるけど、別に演技自体は上手くねぇ。というような理屈である。 なるほど。確かに言われてみればそうかもしれない。 ただ、問題は24個もの膨大なエラー数を積み上げているという揺ぎ無い事実である。 森野の守備はもともとヘタクソだったという意見を最大限考慮したとしても、果たしてそこまで下手なのだろうか? 落ち着いて考えてみるとサードでエラー数24個というのは本当にシャレにならない数である。 99年。目も当てられないと言われたルーキーイヤーのあの福留のショートでさえエラー数は19個。 福留のショートよりヤバいサードの守備ってどんだけ超絶的にヘタクソなんだ!って話だ。 森野をフォローするわけではないが、サードの守備がいくらヘタクソと言っても、客観的にみて福留のショートより劣るというのは現実的には考えにくい。 いや、たとえもともと下手だったとしても、そこまで下手ではないから!というのが一般的な見解だろう。 やはり、これも直接的な原因と結論つけるには弱い。 ![]() ◆その4 「精神的に弱い説」 いわゆるイップス説である。 精神的な原因から動作に支障をきたし自分の思い通りのプレーができなくなる運動障害をイップスというが、森野はこのイップスを患ったのではないか?という説だ。 これはある。正直なところ現時点で一番可能性が高いと言っていい。 イップスは本当に恐ろしい病である。過去の失敗がトラウマとなり無意識に身体が拒否反応を起こす。まさにこれは0コンマ1秒を争う競技においては致命傷であり、こうすれば絶対に克服できるという治療法は確立されていない。 かつては荒木がこのイップスに悩まされショートを断念せざるをえなくなったという経緯があり、今も完全に克服したかと言われればあながちそうも言えない。 いや・・・しかし、あえて、あえてここも突っ込ませてもらおう。 いや、イップスにしたって、ヒドすぎる!守備率.928のサードなんて聞いたことがない。もはやこれは精神的な要素という問題で済まされることではない。 わかりやすく確率で言ったら、森野が14回サードゴロをさばくと必ず1回はエラーするという割合である。 普通そんなことがあり得るだろうか?まだサードにシャオロンでも座らせといた方が効率的と思えるほどの確率である。(体の幅的に。) つまり、原因はイップスでしたチャンチャン♪では済まされないところまで来ているということである。 もうイップスは絶対違う!消し! ![]() ◆その5 「わざと説」 かつて長島茂雄は野球の面白さなどを魅せる為にわざとにエラーをしていたという。 生粋のエンタティナー精神を持つ長島は、試合がいまいち盛り上がりに欠けると感じた途端、意図的に後逸をするなどして度々お客さんを湧かせたという逸話。 これを森野は現代に甦らせているのだという説。 ただ、森野がわざとエラーをするたびに客席から笑いどころか怒号が飛び交うため、森野は悩んだ。 「・・・そうか、わかったぞ!」 「まだまだエラーの数が足りないんだ!」 「よぉーし・・・」 ・・・ホントにありそうで怖い。 という訳で代表的な5つの説を改めて検証してみたが、他にも「悪の組織に改造された説」や「エラー貯金をしている説」など憶測は後を絶たない。 ただ、やはりというかなんというか、「これ!」という一つのポイントを絞りきるには至らなかった感がある。 つまり「森野問題」は様々な要素が複合的に絡み合って生み出されているのであって、すべての説が正解である。という説が、落としどころとしては一番真理に近いともいえる。 冒頭で議題として挙げた「なぜ、森野はここまで守備が下手になってしまったのか?」の答えを総合的に要約すると、 答えはこうだ。 森野が守備が下手なのは、 精神的な弱さから外野守備や打撃が影響していたり、 ある意味元々下手だったりするけど、わざとかもよ。 ってことである。 ◆ 宿命の姓 2009/09/05(土)
9月5日(土) 新潟● 中日 0 − 2 横浜 「宿命の姓」 「グリン」と「ランドルフ」をどうやったら書き間違えることが出来るのだろう?少し考えてみた。 名前に関する書き間違え、言い間違え、聞き間違え、勘違い・・・。 人生の中ではそれらの失敗によって様々なトラブルに発展することがあるが、そういえばかつて私もこんなことがあった。 私は生まれてこのかた「堀」という名を受け、ここまでの人生を過ごしてきた訳だが、堀という姓には、切っても切れない終生の「ライバル姓」とも言うべき苗字が存在する。 それは、「森」という姓である。 「堀」と「森」 母音も同じなら発音のイントレーションも全く同じ。 これによって両名の間には様々なトラブルが生じてくる。かくいう私も、その渦中から逃れることが出来ない運命を背負った一人である。 昔、学校の授業でよくこんなことがあった。 先生:「じゃあ、この問題を堀くん。前へ出て黒板に書きなさい。」 「うわー・・・・来たよ。何でオレなんだよ。全然わっかんねぇし・・」 私は困惑しながらも、半ばあきらめ半分といった表情で席を立ち、うつむきかげんで黒板の方へと歩を進める。 「まぁ・・テキトーに書くか・・。」 そんな思いで、顔を上げ、黒板のチョークを手に取ろうとすると・・ 「!!!!!」 何故かそこには、既に一人の生徒が立っている。 そう。もうおわかりだろう。森クンだ。 先生は、苦笑いを浮かべながら私に言う。 「おぃおぃ、何だ堀。そんなに問題に答えたいのか(笑)」 「・・・・・」 「もり?・・ほり?・・・もり?・・・・??」 「いやいやいや!さっき絶対あんた、”ほり”って言ったし!」 「堀」と「森」の聞き間違い・・・。 紛らわしい・・・。紛らわしすぎる。 このようなトラブルは学校生活の中で1度や2度ではなく、それこそ毎日のように起こった。 しかしこれは、もはや自分の力でどうこう出来る問題ではない。これは、変えることの出来ない運命なのだ。 そう。「堀」と「森」は、運命という名のもとに刻まれた宿命の姓なのである。 私はこのような経験があるため、今回の横浜・田代監督の失態を単純にあざ笑うようなことが出来なかった。 その渦中におかれた当事者の苦悩を誰よりも知っているからだ。 「堀」と「森」の間で起こるトラブルと同様、「グリン」と「ランドルフ」もさぞかし今までツライ経験をしてきたのだろう。 だって、「グリン」と「ランドルフ」はどこからどう考えても、イントネーションから何から全くおな・・・ って、んな事あるかっ!!! ◆ 自分の力に自信を持ちなさい 2009/09/04(金)
「自分の力に自信を持ちなさい」自分に力に自信を持つ瞬間ってどんな時だろう?と考える。 まずパッと思い浮かぶのは、やはり成果が挙がった時だろうか。 目標を達成した時や努力が実を結んだ時、そういった瞬間に自分の力を信頼できる感覚、つまり自信が芽生える。 基本的にはそのパターンが多いと思うが、もう一つ思い当たる時がある。 それは、自分の力で”人の心を動かした”と、本当の意味で実感できた時である。 昔、こんな事があった。 4、5年ほど前、私が生まれて初めて「スナック的なお店」に行った時の話だ。 その店は私の友達のお母さんが経営している小規模なカラオケスナック。 私は酒もほとんど飲めないし別に大して興味もないのだが、「堀くんも一回遊びにおいでよ」というママさんからの誘いをなんだかんだで断りきれなかったこともあり、半ば体裁上やむなくといった形で顔を出した。 一人っきりで未知の空間に踏み出す時、人間はとてつもない不安に駆られる。その時の私はまさにそれを絵に描いたようだった。 「嫌だなぁ・・・」店の扉の前まで来て一度大きくため息をついた。 そして、アニメ・笑うせぇるすマンの話の中に出てきたような、場末感たっぷりのそれっぽい扉を開く。するとママさんは商売っ気たっぷりの笑顔で出迎えてくれた。 私は軽い愛想笑いを浮かべ「どーも・・」と呟きながら、決して広くはない店の中を恐る恐る見渡す。薄暗い奥のカウンター席に常連客とおぼしきサラリーマン風の男が一人ポツンと座っている。 「ぐわっ・・・客いるのかよ。」 「願わくば、デビュー戦は一人っきりがよかった・・・」 しかしまぁ、今更何を言ってもしょうがない。私はサラリーマンを避けるように手前のカウンター席に腰掛けた。 さぁ・・問題はここからだ。よし・・やるしかねぇ。 私は覚悟を決め・・・たというよりは、ほとんどあきらめに近いような表情で、飲めない酒を煽り、さして聞きたくもないママさんの世間話にタイミングを見計らってウンウンと相槌をうつ。 幸いと言っては何だが思っていたよりだいぶ早く酒が回ってきた。少し良い気分だがこれも気のせいだろう。というか、出来ることなら1秒でも早くこの場を抜け出したい。その気持ちは店のドアノブを握ったあの時から何ら変わってはいない。 その時、突然ママさんがとんでもない事を言い出した。 「そーだ!カラオケでも歌う?」 待て待て。こっちはいち早く抜け出す方法を一生懸命考えてる最中だというのに、何が楽しくてカラオケせにゃならんのだ。 それに大して上手い訳ではない私の歌を、ママさんに聴かれるだけならまだしも、見ず知らずのあのサラリーマンも聴くとなれば、そりゃ心が引けてしまう。 しかし、案の定ここでも断りきれず、ママさんは強引に一枚の小さな紙とペンを手渡してきた。 「じゃあ、そこの本で調べて、この紙に曲の番号書いてね。」 ん?・・・あぁなるほどなるほど。そういうことか。 どうやらこの店ではカラオケを歌う時にはチケット制度を導入しているらしい。客がチケットを1枚いくらかで買い、それをママさんに手渡すことで一曲歌える。と、まぁおそらくそんな感じのシステムなのだろう。 さしあったって私にはサービスで1枚くれたって感じか。 まぁ、どうせやるんだったら全力で歌おう。私は本を開くと歌手名検索「こ」の欄を開き、コブクロの「エピローグ」という歌をリクエストした。 この際、上手いかどうかはとりあえず置いておこう。この「エピローグ」という曲には多くの思い出が詰っていて、私が感情を乗せて歌うことが出来る数少ない曲である。 ・ ・ ・ ・ ・ 「♪またぁ〜恋して〜しまうからぁ〜〜・・・・」 「ふぅーっ」 なんとか歌い終えた。いや、終えたというよりは乗り越えたという表現の方がこの場合自然だろう。 慣れない異質な空間ということもあり歌唱後の達成感はいまいちだったが、何か言葉に出来ない妙な満足感がある。 ママさんは今まで何人に言ったであろうというお決まりの誉め言葉で私の歌を讃えてくれるが、その言葉はほとんど耳には入っていない。まぁ・・とりあえずオッケイ。そんな安堵感が私の心をやさしく包んでいた。 すると、奥の席のサラリーマンが何やらゴソゴソしているのが視界の端に入ってきた。 何をしているんだろう・・と見ていると、彼は自分のポケットから財布を取り出し、中からあのカラオケチケットを出した。 「あぁ・・あの人も歌うんだ。」 そんな感じで見ていると、サラリーマンはチケットをカウンターの上にヒラリと置き、予想外の一言をママに告げた。 「これ、彼にあげて。何かもう一曲聴きたい」 「!!!!!」 さすがに驚いた。いやぁ、その展開は想像していなかった。というか、出来るはずもない。 しかし驚いたのは一瞬だけ。そのあとは何か心の中にあった小さな不安みたいなものが急速なスピードで解けていくのがわかった。何かがスッと収まるような感覚。 そうか・・・やっぱり・・・そうだったのか。私はこの時に悟った。 いや、今になって思えば自分でも薄々勘付いてはいた。わかってはいた。確かにわかってはいたが、たぶんそーじゃねぇかなぁ?ぐらいで今ひとつ自信がなかった。 しかし、今この瞬間ではっきりした。自信が確信に変わったのだ。そう。やっぱり・・ 「オレって、歌、上手かったんだ!」 私の歌ったエピローグは、知らず知らずのうちにサラリーマンの心を大きく揺らしていたのだ。 そうなのだ。自分ではほとんど気づいていなかったが、私の歌には人の心を動かせるだけの”力”があったのだ。 ありがとう。名も無きサラリーマン。私はあなたのおかげで初めて歌に”自信”が持てました。 あなたに与えられたこの1枚のカラオケチケットが私に自信を与えてくれたのです。 あなたへの敬意と感謝の気持ちを込めて・・・精一杯歌います。 「じゃぁ・・聴いてください!」 「燃えよ!ドラゴンズ!」 ―終わり― さてさて、今日は小説チックな感じで、実際にはありもしない空想話を書いてしまいましたが、 まぁ結局この話は、主人公が今まで気づくことのなかったアイデンティティに触れ、自信を見出していくっていう話です。 今、ドラゴンズの選手たちに言いたいのはまさにこれ。 忘れちゃいませんか?ってことです。 あなた達が投じるその一球。その一打には、大勢のファンの心を揺さぶるだけの強い力があるんです。 だからこそ、あなた達は自分の力に自信を持たなくてはいけない。たとえそれがどんな状況であれ。 それが宿命なのです。 自分の力に自信を持ちなさい。あんた達なら出来る! ◆ すきなんだよね。たぶん 2009/09/03(木)
9月3日(木) ナゴヤドーム● 中日 1 − 8 広島 「すきなんだよね。たぶん。」 この4回オモテの「6」のあたりを、うす目を開けてボヤーッと見ていると・・・ ![]() ![]() 「あぁ・・・なんか・・”0”っぽく見えてきた・・・・」 おっいいぞ・・・いいぞ・・・。 かなり点差開いてた気がするけど、なんか・・・接戦じゃん。 2-0ならいける!まだ、いける!・・・一瞬そんな気がした。 しかし、そんな思いもほんの一瞬だけ。 ふと我に返り、現実を見つめなおしてみれば点差は歴然。終わってみれば今シーズンワースト5に入るほどの言ってみればツマラナイ試合だったことは間違いない。 それを証拠に、今日は試合途中で早々に席を立つお客さんの数が際立って多かったように思う。 まぁ確かにその気持ちもわからないでもない。 大差がついた時点で広島戦3連敗が決定的となり、今となっては逆転優勝の可能性もほぼ無いに等しい状況とあれば、「もう帰ろうか」という気持ちになってもおかしくはない。 ただ、私の価値観の中では試合途中で「もう帰ろうか」はどういう状況だとしてもあり得ない。 おそらくそういう人達は、興味の持続が「ドラゴンズの勝利」という一点に集中しているのだろう。 勝てないとわかった途端に試合への興味は消え失せ、「もう帰ろう」という発想に至るのだと思う。 別にそれを否定するわけではないが、そもそも試合終了前に席を立つという行為自体が私にはよくわからない。 映画でたとえるとわかりやすいが映画館で映画を見ている時に、 「なんか、この話ハッピーエンドにならないっぽいからもう帰ろう。」と、上映の途中で席を立つ人を呆然と見つめるような感覚に近い。 「まぁ別にいいけどさ・・・でも、そりゃないよ〜」ってな思いである。 今日のような展開の試合を観ている時は色々と考えさせられる。 見るも無残で尚且つ単調に過ぎていく試合展開は、ファンならば誰だっておもしろいものではない。 それこそさっさと家に帰ってテレビでも見てた方が有意義なのかもしれない。 ただ、逆に考えればこういった試合の時こそ「自分がファンとしてどうあるべきか?」を考えるには絶好の機会であるとも言える。 そして今日でわかったことがある。いや、知ってたけど再確認。 やっぱり私の根本は「ドラゴンズの試合を観る」ことが好きなのだ。 どんな試合展開であれ、どんな状況であれ、チームを応援する気持ちは何ら変わらない。 確かに興味の対象物の一つとして「勝利」が存在するが、それはあくまで副産物であって、結局は勝ち負けより遥かに前の段階でドラゴンズの試合を「観るだけで幸せ」なのである。 つまり、勝った負けたで興味の持続が揺らぐことはないのだ。 勝利せずとも、試合の中におもしろさを見出すことはいくらだって出来る。 冒頭でも紹介した、「大差の時でもスコアボードを薄目で見ると意外と傷が浅い」というのは、今日の観戦においてナイスな収穫だったし、今まで気がつかなかったような新たなおもしろさを発見することが出来た。 つまり私が言いたいのはこういうことなのである。 試合における”おもしろさ”というものは、ドラゴンズの側から無条件で提供されるものではない。 おもしろさは自分の感性で掴みに行くものなのだ。 「なんだつまんねー試合だったなぁ」と捨てゼリフを吐いて途中退席していく人達には、早くこの最も重要な要素に気づいて欲しい。 そんな私が今日発見した「おもしろポイント」がこれだ。 ◆広島のショート・小窪が打席に立っている時。スコアボードの名前のところを薄目でボォーっと眺めていると・・・・ ![]() 「小室哲也」っぽく見える!!! まぁ、だからなんだって話だけどね。 ◆ ノッカン神社 2009/09/02(水)
9月2日(水) ナゴヤドーム● 中日 3 − 4 広島 「ノッカン神社」 ![]() うちの近所に古くからある神社で、通称「ノッカン神社」と呼ばれているところがある。 どこの宗派に属するのか詳しくは知らないが、この神社は他には無い一風変わった参拝方法を取り入れているのだ。 通常、神社で行う参拝とは、神仏などに「未来」を拝むのが基本である。 「健康」「平和」「家内安全」などなど、来るべき未来が平穏でありますように、と願うのが通例だ。 だが、「ノッカン神社」は違う。これらの通常の参拝とは全く逆の構造で成り立っているのだ。 ノッカン神社の”ノッカン”とはノーカウントの略。つまり、「あの過去を無かったことにしてほしい」という過去の清算こそがノッカン神社流の参拝なのである。 参拝の基本手順はこうだ。 1:境内の奥にある賽銭箱の前に立ち、お賽銭を入れる。 2:周りに誰もいないことを確認する。 3:胸の前で大きく2度、手の平を合わせ、大きな声で「ノッカン!ノッカン!神様!あれノッカンって事で!」と叫ぶ 4:清算したい過去を心の中に思い浮かべ、伝える。 以上が基本的な手順だ。 私は過去、どれだけこのノッカン神社に救われたことだろう。 ずーっと好きだったあの子にフラれたあの日や仕事で大きな失敗を犯してしまったあの日、気がつくと私はいつもあの賽銭箱の前に立っていた。 そして、願った。 「神様お願いします!今日のあれ・・ノッカンって事で!」 すると神様は、いつでも私の後悔の念を寛大な心で受け入れてくれたように思う。声は聞けずとも私にはわかる。 「わかりました。その後悔の念、私が引き受けましょう。」 「ただ、すべてを私に頼っていてはいけませんよ。出来ることなら自分自身で後悔せぬように生きなさい。」 何かそう諭してくれているような、そんな気分になるのだ。 そして、今日。 私はまた・・・あの賽銭箱の前に立っている。 いつものようにゆっくりと辺りを見渡し、境内の周辺に人がいない事を確認し、かるく一度お辞儀をした。 次に自分の耳にも聞こえるかどうかというほどの小さな声で「ホント何度もすいません・・」と一言呟き、手を合わせる。 すぅーっと深く息を吸い込み、私は願いごとを叫んだ。 「巨人戦3連敗 ノッカン!」 神様の苦笑いする顔がちょっとだけ見えた。 ◆ |
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